すずきちの「◯◯オヤジ」ブログ

愛知県豊橋市在住のサラリーマン。三児の父。趣味のマラソンやカレー、PTAや自治会などの地域活動などがネタの中心です。

「救急搬送オヤジ」ブログ【救急車で豊橋市民病院へ担ぎ込まれる】

どうも。すずきちです。

救急車に乗ったのは、人生で2度目です。

f:id:dq_master_intea:20190703190449p:image6月30日(日)、救急車で豊橋市民病院へ搬送されました。その経緯は次の通りです。

【6月30日17:40】自宅

テレビを観ていたら、突然の腹痛。腹の中でうなぎがのたくっているような、激しい痛みでした。そして頭から血の気が引いて意識が薄れていく感じ。

「年一くらいでやってくる例の酷い下痢だ」

と直感し、トイレへ向かいました。トイレの扉を開けたところで意識が飛んでしまい、次の記憶は

「父さん!大丈夫?」

と覗き込む長男の顔。どうやら意識が飛んだところで転倒したようです。その転倒時の音を聞いて部屋にいた長男が駆けつけてきたところでした。意識が飛んでいたのは10秒程度でしょうか。

その時すでに全身からものすごい量の冷や汗。顔面蒼白、目は虚ろ。この状況で長男は救急車を呼ぶ判断をします。

「いや、大丈夫。出すもの出して30分もすれば治まるから」

と言ったつもりが、どうやら声になっていなかったようです。

15分くらいしたころ、救急車が到着。私はトイレで出すものを出したところでした。すでに腹痛は治まりつつありましたが、救急隊員から発せられる数々の質問に答えます。

「腹痛は治まっているようですが、病院へ向かいましょう」

ということで病院へ搬送されることに。とりあえず、先週おろしたばかりのボーナスの封筒をと財布をカバンに入れて準備完了。着替える暇もないので冷や汗でビシャビシャになったTシャツのまま。ストレッチャーが玄関の外に用意されていましたが、歩いて救急車へ乗り込みました。

【6月30日18:10】救急車

当初、豊橋医療センターへ搬送される予定が

「急患多数のため受け入れ不可」

とのことで豊橋市民病院へ向かうことになりました。

その車中で体温・心電図の測定が行われました。体温は36度2分。そして心電図の示された数値を見て救急隊員が

「あれ?何だこれ?」

と声をあげました。どうやら正常ではない数値が出たようです。そこで、無呼吸症候群予備軍であること、過去の健康診断で右心室肥大と診断されたことがあることを告げました。

【6月30日18:30】市民病院

豊橋市民病院に到着し、救急対応室の一角で血液検査のための血液採取、点滴、心電図の再測定の処置を受けました。

程なく長男が改めて車で病院まで来たくれました。転倒した時の状況や、その他くだらないことなどいろいろ話をしました。こんなことでもなければ、面と向かって話をする機会は得られなかったでしょう。

そして医師から

「やはり心電図の数値が気になります。明日改めて当院の循環器内科を受診してください」

とのことでした。

病院を出たのは21:00近く。この日は、次男が進学を希望する名古屋のデザイン学校のオープンキャンパスの日。妻も同行していました。豊橋駅には18:30には着いていたそうで、駅で2時間以上待たせてしまいました…

【7月1日(月)】市民病院

翌7月1日、休暇を取り再び市民病院へ。ポータブル心電図計測器で24時間モニタリングをすることになりました。

また、睡眠時無呼吸の検査キットをメーカーから自宅に送ってもらい、一晩モニタリングすることになりました。

腹痛からの意識喪失で救急搬送されたのですが、そちらの方は

「ま、大丈夫でしょう」

とのことで、あくまでも心電図計測での数値の方が気になるのだそうです。次回の診察は7月22日。心電図の24時間モニタリングと睡眠時無呼吸の一晩モニタリングの結果を知らされることになると思います。一体どうなることやら…

あと私が倒れた時、長男の他に2階には三男がいました。

「大きな音がしたのは分かったけど」

と特に動かず。救急車のサイレンも

「ものすごく近くで止まったな、とは思ったけど、まさか自分の家だとは思わなかった」

らしい。三男しかいない状況では、おちおち意識も失えないな、と改めて考える父でした。

では。